岐阜市にあります山内ホスピタルは、地域の皆様に安心、安全な医療を提供致します。

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病院概要

病院概要・ご挨拶

山内ホスピタルは平成29年6月を持ちまして創立109周年を迎えることができました。

おかげさまで、山内ホスピタルは平成20年6月を持ちまして創立100周年を迎えることができました。これも一重に地域の皆さまと病院職員並びに関係者の方々の熱心なご協力による賜物と心より感謝申し上げます。

初代 山内要(かなめ)、第二代 山内正通、 第三代 山内英通が、この岐阜の地において内科系の「岐阜胃腸病醫院」、「山内胃腸病院」として、また近年は「山内ホスピタル」として、胃腸科・内科・外科・整形外科・循環器科・呼吸器科・透析・人間ドック・病理部門を併設して参りました。
100年の歴史の中において父 山内正通と私 山内英通が昭和63年に徹明町より現在の市橋の地へ新築移転をし、その後隣地の土地の購入が実現し、更なる増築拡張ができましたことは、その一つひとつに私がご臨終を看取らせていただいた患者さまのご家族にそれぞれお世話していただいたというご縁がございました。振り返ってみますと、今日がありますのは、人間関係に恵まれたことが大変に大きな要素であったと考えております。

私の祖父である初代 山内要は、北里柴三郎博士と消化器病学会の初期を築いた長与称吉博士の弟子となり、当時の医療の最先端を学んで故郷の岐阜に帰り、明治41年6月に病院を開設いたしました。長与称吉博士は、緒方洪庵が開いた大阪適塾の塾頭であった長与専斉氏の長男であり、その後の塾頭は福沢諭吉へと繋がります。
明治41年、岐阜の地においてロベルト・コッホ博士が北里柴三郎、志賀潔と来岐した際に、萬松館の前で撮影をした写真があり、当然、要も出席していたものと考えられ、横顔の似た人物が要に当たるのではと考えます。長与称吉博士と森鴎外は明治17年(1884年)に同じ船で、また、北里柴三郎は明治18年にドイツに留学しており、この3人は友人として固い絆で結ばれていました。
そんなことから要を通じて洪庵とは何かの縁を感じるものであり、現在、当院の応接室には、洪庵の記した『扶氏医戒訓』が掲げてあり、毎朝それと、祖父、父の肖像画を拝するのを日課としています。

現在、日本の医療は、世界医療の先端を行くものであり、その技術の進歩も素早く大変に広範囲にわたっていますが、我々医師が診療を行なっていく上で医療経済は大変厳しいものがあります。医療費に占める対GDPは10%であり、OECD加盟国中22番目で、先進7ヵ国でも最低の位置にあります。
私がいつも皆さまの前でお話していることは、本当に良い医療を行なうためには経済的に余裕が無くては行なえないということであります。現在の保険医療は世界に冠たる大変良い制度で、フリーアクセスでいつでもどこでも平等に良い医療が受けられる世界一の制度であります。近年、医療において経済的にだんだん余裕が無くなりつつあり、保険制度が崩壊しつつあります。このことは患者さまにとりましても不幸な出来事となって跳ね返っていくことが危惧されてなりません。
私の役割としては、山内ホスピタルがより良い充実した病院となり従業員にとっても働きやすく、また、一同がより良い医療を提供しようという気持ちになり、地域の皆さまと関わり合っていく病院として経営者一同頑張っていくつもりであります。

今後とも皆さまの一層のご指導、ご協力をお願いしてごあいさつといたします。

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社団医療法人かなめ会 山内ホスピタル

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